うなぎ食用の歴史は非常に古く、縄文時代の遺跡からの出土例が報告されています。 また、うなぎの豊かな栄養については奈良時代のころから知られており、『万葉集』に大伴家持によって和歌が歌われています。 うなぎの蒲焼きが最初に文献に登場したのは、応永6年(1399年)に著された「鈴鹿家記」です。その中でうなぎを筒切りにして串に刺し焼いて食べた、その姿形が蒲(がま)の穂に似ていたことから、「蒲焼き」と呼ばれるようになったと言われています。 その後、室町時代までは塩で食べたり、酢みそ、辛子酢で食べられていたようです。
本格的に食べ物として定着してきたのは徳川家康の時代に江戸を開発した際、干拓によって出来た湿地にうなぎが住み着くようになったため、うなぎは労働者の食べ物となったとのことです。値段も安く、そばと変わりませんでした。
蒲焼が現在のような形になったのは18世紀、天保年間(1781年~1789年)に、千葉県銚子にある現在のヒゲタ醤油が、濃い口醤油を作り出したことに起因します。 それまで良い醤油は主に関西から入って来ていたのですが、濃い口醤油が江戸の人の嗜好に合い、大流行したのです。これは、関西の薄味に対して、関東は濃い味と言うお馴染みの料理文化にも繋がっています。そしてこの時期に確立されたうなぎの蒲焼きと言う料理法は、完成された当時から現在まで変わらず続いています。